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OPEN VUILD #9開催レポート:「0⇄1の構造デザイン」

2020.06.29

OPEN VUILD #9開催レポート:「0⇄1の構造デザイン」

2020.06.29

建築テック系スタートアップVUILD(ヴィルド)株式会社では、多様な領域で活躍する専門家を招き、さまざまな経営課題や組織のあり方についてオープンな場で語り合う「OPEN VUILD」を開催しています。第9回は「0⇄1の構造デザイン」をテーマに、2019年3月1日に開催されました。

今回のゲストは、国内外のプロジェクトを数多く手がける構造家の金田泰裕さん。「意匠と構造」「伝統と先端技術」など、相容れない要素の間(はざま)を行き来し、両者をつなぐことで生まれる形とはどのようなものなのか? お互いの近作とその背景に潜む創造のプロセスを公開しながら、ものづくりの手法やデザインにおける思考法まで幅広く議論していきます。

Text by Risa Shoji

「意匠と構造」「日本と海外」のゼロイチをつなぐ作法

秋吉 金田さんはもともと意匠のご出身で、そこから構造家の道に進んだ特殊なキャリアをお持ちですよね。

金田 大学では建築家の丸山洋志さんの研究室で建築を考える方法を学び、卒業後は鈴木啓さんの元で5年間、構造設計の基礎を学びました。その後、Karamba を開発した構造設計事務所 Bollinger + Grohmann のパリ事務所で2年間働き、独立しました。現在(2019年3月時点)、香港を拠点に、アジア、ヨーロッパ、南米のプロジェクトが進行中です。

金田泰裕 Yasuhiro Kaneda/構造家。構造設計事務所 A.S.A / 鈴木啓 を経て、2012年に渡仏。Bollinger+Grohmann Paris にて構造エンジニアとして活動後、2014年に yasuhirokaneda STRUCTURE(YKS)設立。香港での事務所設立を経て、現在はデンマーク・コペンハーゲンに拠点を置く。アジア、欧州を中心に様々なプロジェクトに携わる。

秋吉 金田さんには、VUILD を立ち上げた当初から、ずっと構造面のサポートをしていただいています。その頃から「伝統と最先端技術」あるいは「柔らかい構造と硬い構造」など、両極にあるものの間をどのように行き来してものづくりをしていくか、いつも話し合っていましたよね。

金田 そうですね。

秋吉 VUILD はデジタルテクノロジーによる建築産業の民主化を目指していますが、単に「デジタル技術を建築に使うこと」がすなわち「建築のデジタル化」ではないと思っています。建築のデジタル化とは、相入れないゼロとイチの間を揺らぎながらものづくりをすることにこそ本質がある、と。だから今日は、「意匠と構造」「日本と海外」というゼロイチの間を越境しながらものづくりをしている金田さんに、その手法や考え方を伺いたいです。

金田 僕は基本的に、建築にまつわる言葉や定義に対して常に疑問を持ちながら設計しています。前提条件が変われば正解も変わるわけですから、その中でどうやって建築と設計の関係を突き詰めていくか、常に問いかける癖をつけるようにしています。そういった考え方の延長上に、「意匠か構造か」「日本か海外か」という2択ではなく、「どちらでもない」「どちらでもある」というような、領域を限定しないことであらわれる価値に気づけたとは思っています。

秋吉 金田さんにとって、建築家と構造家の職能の違いとは何でしょうか。

秋吉浩気 建築家/起業家/VUILD株式会社代表取締役。
1988年大阪府生まれ。芝浦工業大学工学部建築学科を卒業し、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科X-DESIGN領域にてデジタルファブリケーションを専攻。2017年にVUILD株式会社を創業し、「建築の民主化」を目指す。主な受賞歴にSDレビュー入選 (2018)、ウッドデザイン賞 優秀賞(林野庁長官賞)受賞(2018)、SDレビュー入選 (2019)、Under 35 Architects exhibition Gold Medal賞受賞(2019)。

金田 建築家は、プロジェクトに自身が巻き込まれながら、様々な条件と制約を前提に、施主を含めた関係者を取りまとめ、その上でそこに建てるものについて設計する必要がある。僕にとっての構造家は、そんな建築家のプロジェクトに近いところで盲目にならざるを得ない視野に対して、冷静に客観的にプロジェクトを眺め、唯一の距離感で意見がいえる立場でだと思っています。

一方、フランスに行った事で、それぞれの職能のあり方が、日本と西洋で大きく異なることも知ることができました。現地の建築家に構造的なスケール感がほとんど備わっていないのがとても新鮮でした。建築家はアート系、構造エンジニアは、工学系の学校で教育を受けるのが一般的であるため、日本のように建築家と構造家が歩み寄るための共通の「言語」をお互い持ち合わせていないのです。それゆえに、建築と構造が融合するようなアプローチがある日本の建築の状況はマイノリティなのだと理解しました。

秋吉 作家性ありきで、構造的実現性がないがしろにされている、と。

金田 そうですね。だからこそ、一度プロジェクトを闇雲に進めていく前に、構造断面の寸法感にある程度のリアリティをもってもらうことが重要だと考えました。そこで僕が用意したのが、、柱サイズや本数などのパラメータを変えると必要断面とか断面積がパッと出てくるような、Excelベースの簡単な構造解析ソフトだったんです。

秋吉 ソフトを使ってもらうことで、スケールの感覚を養ってもらおう、と。

金田 はい。結局、担当者に2週間ほどソフトを使ってもらい、我々が考える断面に近い感じが出せるようになったところで、ようやく具体的な設計のスタートを切りました。

秋吉 海外で仕事をする上では、ゼロイチの遠い関係のまま進めるのではなく、関係を変えるためのアクションを起こすことが重要なんですね。

金田 ある概念は他の言葉で言い換えられたり、説明ができたりします。「言語」(さまざまな次元での意味)が違うというだけで、遠いように感じる概念も、自分たちの言語に置き換えられた瞬間に距離が縮まることは日常でよくあると思います。

この香港で設計した写真ギャラリーの螺旋階段では、機能的に必要な要素、構造的に必要な要素を建築家と話しながら、「手摺り」は「吊り材」と言い換えられる、「段板」は床まで伸ばしていくと「ブレ止め」と言い換えられる、というような形で整理していくことで、一つの部材の言い換えにより、階段として成立させる方法を考えました。

f22 foto space / LAAB Architects 写真:LAAB Architects

秋吉 それぞれの部材の役割を定義するのではなく、両者に複数の要素をもたせることで新しい形を可能にする。それもゼロイチの構造デザインと言えるかもしれませんね。

金田 ゼロイチについて考える上で、前提を疑うという事がとても重要だと思っています。そういう意味では、このチリの建築家と設計している住宅の事例がとてもいい例です。ここは山を背にした湖畔に立地していて船でしかアクセスできず、どうやって資材を運搬するかが課題でした。そこで敷地内に自生する木を伐採し、時間をかけて乾燥・製材し、そのまま構造材として使うと、施主と建築家の方で決めていると言われました(笑)。

Casa Azul Project 敷地 写真:Matías Zegers Arquitectos

Casa Azul Project 軸組模型 写真:yasuhirokaneda STRUCTURE

秋吉 日本の現場ではまずあり得ないですね(笑)。

金田 でも、彼らは特別なことをしている感じもなく「それが一番合理的でしょ?」というスタンスなんですね。海外での仕事では、日本人にとって「あり得ないこと」がよく起きます。自分が持っている常識の幅を広げてくれるという次元ではなく、常識という枠を持つこと自体を辞めてしまえと思わせてくれます。このプロジェクトについて言えば、施主がつくりたいものをつくるという思いに忠実なわけで、建築家として、本来の目的に対してとても真摯な態度だと思います。

秋吉 ある意味、施主と設計者のゼロイチをつなぐ手法の一つと言えますね。

建築における「常識」や「最適化」を疑う

金田 これは2015年に「35歳以下の若手建築家による建築の展覧会」で展示した時の様子です。建築の展示は実物を展示できないことを前提に、写真や模型やドローイングによる展示が一般的ですよね。この展覧会では、そうではない表現で建築を体験させることはできないかという問いから、別の方法で建築を展示しました。

「Under 35 Architects exhibition 2015」では、1mm のアルミ板を加工したテーブルに本を展示した。 写真:yasuhirokaneda STRUCTURE

金田 写真・模型・ドローイングは、視覚情報に特化した表現です。でも僕は、むしろ建築を文章だけで表現した方が、視覚情報の展示よりも空間体験に近い表現になるのではないかと考えました。ビアトリス・コロミーナの書いた『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』(松畑強訳、鹿島出版会)によれば、アドルフ・ロースはこんな事を言ってます。『良い建築は描写することはできるが、図面に描くことはできない』『良い建築は書くことができる。パンテオンを文字にすることは可能だ』。

秋吉 建築を言語化しようと試みたわけですね。

金田 はい。具体的には、実現した10の建築をそれぞれ「本」という形にまとめました。写真や図版は最小限にとどめ、大部分を文章が占める構成にしました。内容的には、その建築のコンセプト、建築家との対談に加え、僕が体験した情景を記述したものになっています。いわゆる一般的な意味での構造設計の説明はほとんどしていません(笑)。かなり実験的な展示でしたが、結果的に来場者はそこで立ち読みしながら、「まだ見ぬ建築」を頭の中に立ち上がらせていたようです。一般的な展示よりも、来場者にイメージすることを強いた展示だったといえます。

秋吉 なるほど。だから展示のタイトルが「まだ見ぬ建築」なんですね。それは冒頭で金田さんがおっしゃっていた「建築に対して常に疑問を持つ」という態度につながる気がします。

金田 建築における「当たり前」を疑うこと、最適化や合理化をいったん手放すこと、僕はそういうところに新しい可能性が潜んでいると思っていて。例えば、これは大きな公園の中にある集会場の専用デッキで、水平抵抗部材についての可能性を検討した事例です。

地域住民のための半屋外デッキ「みずき野集会場」。設計:ARCO architects 青木公隆 写真:新澤一平

金田 最初は細い柱を立てる方法を検討しましたが、普通に考えると、どうしても水平力に抵抗する要素を足すか、柱を太くする必要がでてきてしまいます。そこで、水平力に耐えつつ空間を軽やかに見せる部材として、薄いアルミの壁柱を採用しました。壁柱は50mmのアルミの角材を 2mm の板でサンドイッチする構成とし、文字通り、軸力負担としての柱的な役割と水平力を負担する壁的な要素を一つのエレメントで完結させる考え方です。また、マテリアルの存在のさせ方としても、防錆のためのアルマイト処理の時間を限りなく短くして映り込みを残すように表面処理を調整することで、薄さのみならず、より軽やかに見せる工夫をしています。

特殊処理を施した薄いアルミパネルは、ひと・樹木・空などの周囲の情景を柔らかに写し込む 写真:新澤一平

金田 日本の建築家は、部材の断面を小さくすればするほど緊張感が生まれ、空間が軽く見えると考えがちです。でも細い柱が何本も立っているのと、周囲の風景を写し込む薄い壁がランダムに立ち並ぶのと、実際にはどちらが軽やかなのか。

秋吉 場合によっては、太い柱や壁の方が緊張感や軽快さにつながることもある、と。

金田 実際、自然界ではそのような現象が普通に起こっています。一見、非合理に見えて構造体としてのバランスを取っている。だからこそ、構造部材も「盲目的に細くすること」が正解ではないと思います。そういう意味でこの建築は、構造の合理性を問う、オルタナティブな提案だったと思います。

相容れないものを相容れないままに活かす

秋吉 金田さんとは今日のディスカッションの前に、岡本太郎が提案した「対極主義」について話していたんですよね。岡本太郎は、互いに相容れない要素を相容れないまま存在させる、つまり二面性を保ちながらそれらをぶつけあうことで、新しいものを生み出そうとしていました。その考え方は芸術だけでなく、僕らの仕事にも言えることだと思っていて。

金田 そうですね。

秋吉 ゼロイチを行き来するものづくりにおいては「0→1」の手法ばかりが注目されますが、「いかにイチをゼロにするか」という可逆的なアプローチも重要だ思うんです。金田さんとは、そのような視点を共有しながらものづくりをしてきました。例えばこれは、2017年3月に開催されたビジネスカンファレンス「SLUSH TOKYO」で設計・製作したメインステージのパーティションです。

slush partition(2017年)

秋吉 このときは 8m×3m の構造物をつくるのに、製作期間が3週間しかないという状況で。さらに登壇者の背景になるものなので、見た目は軽やかながら、転倒リスクのない強固な構造が必要でした。そこで、金田さんに「どうしよう」と相談して(笑)。

金田 構造計算に要したのは実質、1週間ぐらいでしたよね。

秋吉 最終的に、5.5mm厚の薄い合板を立体的にトラスで組み、部材断面を変化させることで重量と強度をコントロールし、大人1人でも持ち運べる軽量性と転倒しない強固な構造を両立しました。それ以来、VUILD では「強いけれど軽やか」という矛盾を包摂する建築のあり方を追求してきました。

金田 「強いけど軽やか」を実現させる上で、強さとは何か、軽さとは何かということを分解していき、それを整理して再構築することで、秋吉さんの言う「いかにイチをゼロにするか」という可逆的なアプローチが可能になるのではないかと思っています。その整理と再構築を行うには、言語化と数値化の両方が必要ですが、秋吉さんとは少し議論するだけで、これで行こうというのが見つかります。秋吉さんの構造に対する興味や知識が他の建築家よりも圧倒的に高いので、歩み寄る距離が短く、議論のテンポがいつも良いなと感じています。

秋吉 ありがとうございます。もう一つ、これも金田さんと協働したプロジェクトで、浜松蜆塚のバス停(静岡県浜松市)の事例です。このプロジェクトでは、地元完結型の小規模な流通の形を実現するため、地元の天竜杉を同じ東三河地区に設置された Shopbot で加工しました。ただ、現地で調達できる資材は材質や材幅がバラバラなんですね。だから限られた資材をどのように構造物として成立させるかを考える必要があった。その結果、板材を重ねてサブエレメントとして一体化させた屋根を5本の柱で支えるキャノピー型の構造を採用しました。

浜松蜆塚のバス停(静岡県浜松市、2019年)

秋吉 デジタルファブリケーションは、バラバラのものをバラバラのままでつくれるのが最大の特性です。金田さんと取り組んだ最新の事例である短期滞在型シェア別荘「まれびとの家」(富山県南砺市利賀村)でも、同様のコンセプトに基づいて設計しています。「まれびとの家」では、この地域の伝統技法である「合掌造」にデジタルファブリケーション技術を掛け合わせることで、新しい構造を提案しました。金田さんとは、「そもそも合掌造とは何か」というコンセプチュアルな部分から掘り下げ、意匠や構造に昇華させる手法についてかなり議論しました。

まれびとの家(富山県南砺市、2019年)Photo: Takumi Ota

金田 構造部分はほぼ木組みだけでつくっています。断面形状や寸法を探りつつ、現地の大工さんのフィードバックを得ながら進めました。全ての材の幅が30mmなので、構造部材としてはとても薄いですね。

秋吉:木造建築では、調達が容易な105mm角か120mm角を構造材に使うのが常識になっています。しかし利賀村のような中山間地では、既存の流通に乗らない「大径木」などのA材(良質材)をどう活用するかが課題となっていて。そこで僕たちが提案したのが、そういう良質材を歩留まり良く Shopbot で薄く加工し、建築構造に活かす構法です。接合部の納まりも含め、金田さんと密に議論しながら進めました。同時にこのプロジェクトでは、現代のデジタルファブリケーション技術と伝統的な建築技法である「合掌造」というゼロイチをつなぎ、地域課題の解決を試みています。

事象の背後にある普遍的な構造を意識する

秋吉 ここからは、ふだんの議論の中ではあまりしない質問をぶつけてみたいと思います。金田さんはふだんからすごく本を読みますよね。

金田 そうですね。でも大学に入るまでは、片手で数えられる程度の本しか読んだことがありませんでした(笑)。ただ、それまでも、考えることは好きでした。考えても言語化できないことがあると、図形やスケッチなど他の方法で理解していたと思います。大学に入って、まず図書館に行き、建築系の本を片っ端から読んでいきました。その後、建築を考えるためには、建築以外の知識や思考方法が必要だと気づき、他の分野の本も興味が沸いたものからどんどん読んでいきました。

秋吉 建築だけでなく、あらゆる領域の知識を深めようとする姿勢には、金田さんの社会システムそのものに対する強い関心を感じます。そこで思い出したのが、大学院時代に講義を受けていた構造家の渡辺邦夫さんの言葉です。彼はいつも「構造家の仕事は建築構造のデザインだけではない」と話していて。社会の中で人々の生活や産業はどのように成り立っているのか、そのシステム全体の構造を考えることも構造家の重要な役割の一つだ、と。それは「構造家の職能」を追求してきた木村俊彦さんや佐々木睦朗さんなどにも通じる姿勢で、僕は金田さんもその系譜に連なる構造家だと思っていて。

金田 建築のコンセプトを考えたり、コンテクストを読んだりするときは、プロジェクトに関わる様々な情報を整理し、自分なりの言葉で言い換えるプロセスが欠かせません。そのためには、自分なりの思考フレームを通じて、対象を俯瞰しながら理解する態度が必要です。そういう思考フレームは、あらゆる種類の本を読み、そこから浮かび上がる多様な構造に意識的になることでつくられていく。つまり多読は、僕にとって建築家と対等に概念的な話をするための訓練でもある。

秋吉 建築家が構造家の意見を重視しないケースはありますね。

金田 僕の仕事は、建築家が考え抜いた案を客観的に分析し、価値付けをしていく立場だと思っています。だから、それが面倒だと考える人はそもそも僕に依頼してこないんじゃないですかね。打ち合わせで建築家が構造の話をしたり、構造家の僕から建築のアイデアを出したりすることもある。そういうニュートラルな関係が築けるのが、やはり僕は好きですね。

秋吉 ちなみに、渡辺邦夫さんは建築家の内藤廣さんとよく仕事をしていて、構造についてかなり議論しながら作品づくりをしているんですね。建築家が構造を語り、構造家が意匠を提案する、そういうゼロイチの関係が反転・交錯することで大作が生まれている。金田さんの仕事に対するスタンスも、それに近いと感じます。

金田 海外に拠点を置くメリットは、日本の建築家とそういう関係性を保ちやすいこと。要は、日本から物理的に距離を置くことで、国内のトレンドや新しい常識の中で設計せざるを得ない建築家の態度を冷静に客観視できるんですよ。日本に拠点を置き、国内のプロジェクトだけに取り組んでいると、そういう視点を持つのは難しいと感じます。

秋吉 視点がロックオンしないための処方箋として、あえて日本と距離を置くわけですね。ところで、金田さんが建築そのものではなく、建築を含めた「抽象概念としての構造」に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

金田 僕はフランス構造主義への関心を起点に、社会システムや文化的な現象の基盤となる「抽象概念としての構造」に興味を持つようになりました。つまり「物事を支える骨格」について考えることに一番興味があります。そうした中でエンジニアの道を選んだのは、建築の設計において構造家というポジションをとることで、「抽象概念としての構造」とストレートな意味での「構造エンジニアリング」、この2つの「構造」を同時に扱えるのは、とても面白いんじゃないかと単純に思ったからです。そういう「構造」家になろうという意識です。

秋吉 僕も学部時代にクロード・レヴィ・ストロースの『構造人類学』を知って、物事の背景にある普遍的な形式や構造に関心を持ちました。本の中で述べられていることは、まさにアーキテクト的な思考そのものであり、大きな影響を受けました。

金田 じつは構造家という存在に憧れる最初のきっかけは、渡辺邦夫さんの著書『飛躍する構造デザイン』なんですよ。他のどの設計者とも異なる、渡辺さんの構造家としてのアプローチやスタンスがとても魅力的に思えたんです。

秋吉 僕が渡辺さんから学んだのは、予算や工期、法規の縛りが多いほど、構造デザインからのアプローチが重要になるということ。「東京国際フォーラム」や「横浜港国際旅客ターミナル」など、当時としてはカッテイングエッジな技術を試す一方で、意匠にも殴り込みをかけるような姿勢はすごくカッコいいな、と。また、集成材やCLTがなぜ高コストなのか、本来利点の多いPC建築がなぜ使われていないか、という話も印象に残っています。社会や生産構造への問いかけも含め、構造家の役割を探求する姿勢には非常に共感します。

海外に拠点を置くメリットは「時間の効率化」

秋吉 構造家と呼ばれる人々の興味関心が、ストラクチャーだけでなく、どのような領域に広がっているのかも聞いてみたいです。例えば、VUILD が手がけるデジタルファブリケーションを使った工法や自律分散型の生産システムのように、新しい建築手法に興味を持つことはあるのでしょうか?

金田 世界中の建築に触れられる機会が多い分、新しい技術や工法には常にビビットではいます。しかし、はっきり言って、あまり執着はないですね。それぞれのプロジェクトごとに提示された情報や条件を最大限に活用し、ベストなものをつくれるかどうか。それが最も重要。新しいシステムありきではなく、プロジェクトの条件や制約を検討する中で必要となった時に、初めて活用するというスタンスですね。

秋吉 マネタイズに関してはどうでしょうか。海外と日本のプロジェクトにおけるフィーの違いや、金田さん自身のマネタイズにおけるルールなどについてもお聞かせください。

金田 報酬という話で言うと、日本は「工事費の●パーセント」のように設計料が決まるので、規模や難易度に見合ったフィーを請求しにくい場合があります。一方、海外では作業工数に見合った設計料をしっかり払ってもらえる。香港を例に挙げると、ほぼ言い値で決まる感じです。

秋吉 なんと。それは香港だけですか?

金田 中国の案件はその傾向が強いです。まず、中国は欧米と比べると全体の建設費用が安いので、工事費を元にパーセンテージで決めると作業に見合う設計料にはならないという事情があります。もう一点、中国には独特の商習慣があって。例えば以前、中国のプロジェクトで相見積もりで負けたことがあったんです。競合は30人規模のエンジニアを抱える大きな設計事務所だったので、僕としては少し多めに見積もったつもりでしたが、実際は競合企業の10分の1の金額だった。つまり、僕の10倍の設計料を提示した方が勝ったんです。

秋吉 日本では考えられませんね。

金田 なぜなら中国では「請求金額は仕事に対する自信の表れ」と考えられ、高い金額を出してくる方が信頼される文化なんですね。だから安い金額を提示すると「その程度の仕事しかできない」と評価される。

秋吉 なるほど。商習慣の違いは難しいですね。

金田 ただ、当然ながら設計料だけで受注の判断をしているわけではありません。予算がなく報酬が安くても、興味深い内容であれば僕は引き受けます。逆に多額の報酬を約束されても、時間の無駄になりそうなつまらない仕事は断ることもあります。

秋吉 僕はいつも金田さんとかなり時間をかけてやり取りしているので、不安になってきました。

金田 いや、むしろ VUILD とは、オンラインベースでかなり効率的にコミュニケーションできていると思っています。ここ数年は年間50件以上の新規案件を回していますが、それが可能なのは拠点が海外にあり、オンラインで効率的にミーティングできる環境だからこそ。日本に帰国すると対面の打ち合わせを求められるケースも多いですが、移動時間や次の打ち合わせまでの待ち時間など、どうしても無駄が多くなる。ミーティングを効率化できるのは、日本と物理的に距離を置くもう一つのメリットと言えますね。

「0⇄1」の思考が生み出す新たな可能性

秋吉 ここからは、会場からも質問を受け付けます。

質問者 編集者の中原と申します。金田さんに2つお聞きしたいことがあります。まず、金田さんは大学で丸山洋志さんに師事されていましたが、構造的な側面で丸山さんから影響を受けたことはありますか?

金田 丸山さんの中に、建築の「考え方」を教えるためには、建築を題材として扱わない方が良い、というスタンスがあったんだと思います。そこから、建築以外の物事を対象に構造を捉える態度が定着していきました。建築以外のところで思考を重ね、その反復から建築の形を考えていく。そういう作法を教えてもらったと思います。さっき言った多領域の本を読み、思考の訓練をするというのは、このころから続けている習慣です。

質問者 2つ目の質問ですが、構造家の池田昌弘さんは構造を建物になじませる、つまり構造を構造として見せない取り組みを行っていました。一方、金田さんのお仕事を見ていると、むしろアーティキュレーションやヒエラルキーなどに興味があると感じます。金田さんご自身は、そのあたりの違いをどう感じていますか? また、木村俊彦さんから続く構造家の系統に位置していると意識することはありますか?

金田 木村俊彦さんの作品はもちろんですが、その弟子である渡辺邦夫さん、佐々木睦朗さん、池田昌弘さん、佐藤淳さんの独立後の作品は、学生の時、ほぼ全てのプロジェクトをマークしていました。僕が、鈴木啓さん(佐々木事務所出身)のところに入所を希望したのは、確かにそこにあるDNAを求めていたからかもしれませんが、それ以上に鈴木さんの作品における冷静かつ整頓された個性を感じたのが一番でした。実務をはじめてからは、自分がどのように他の構造家と違うのか、自分の強みは何かということを問い続けて、今日まできました。今挙げた構造家に限らず、様々な構造家の影響を、なんらかの形で受けていると思います。

質問者 VUILD の原田です。金田さんとは浜松のプロジェクトで一緒にお仕事をさせていただきました。そのときの作品を写真で見ていたのですが、改めて柱や梁のバランスに美しさを感じたんですね。個人的には、人間の体躯の伸びのような、ボディの美しさのような印象を持ちました。やはり金田さんはさまざまな本を読まれているので、そこから得たものがエッセンスとして作品に表れていると思うのですが、構造計算とは別にデザイン上で意識していることがあれば教えてください。

金田 ありがとうございます。意識して参照しているものはありませんが、例えば生物学には、自己組織化という概念があります。生物は世代ごとで進化するのではなく、個体単位でも、ある外力が働いたあとに、短い時間でインタラクティブに幹や枝が太くなったりすることが知られています。人間も運動すると筋肉痛を経て、筋肉がつく。運動を続けていくと体型が変わります。そのように、外力と形態には因果関係があり、多くの場合は、どうしてそういう形態になっているかの説明ができると思います。昆虫を見て「美しい」と思えるのは、行動パターンがプログラミングされ、ある程度同じ行動を繰り返すようにできていて、それに必要な身体のつくりやテクスチャが設定されているからだと思います。同様に、構造部材も外力に対して最適化していくと、それに似た美しさが得られるとは思っています。

日本の建築の場合、台風も地震もあるので、いつ来るかわからない水平力に備えるための形態にならざるを得ないです。ヨーロッパの建築は、大きな水平力が掛かることがほとんどないので、簡単に言うと、今その瞬間に掛かっている鉛直方向の重力に抵抗するための構造体でいいわけです。そういう美しさがありますし、水平力がない国での設計はそういう楽しさがあります。その経験を踏まえて、日本で設計をする上で、水平力に抵抗する要素をどのように存在させるべきかという、先程の話に繋がってくるわけです。

今回のテーマである「0⇄1」についてですが、一般的に 0 か 1 で設定されているものを、一度自分なりに冷静に整理すると、0 には 1 性が、1 にも 0 性が含まれていることが多い。一般的な意味での 0 と 1 は理解しながらも、それに当てはめようとしない態度が多くの場面で強度をもってくるのではないでしょうか。まさに VUILD は、既存の枠組みを冷静に分析し、わかりやすい既存の言語で、新たな概念を提案している点に、強度があると思っています。

秋吉 金田さん、本日はありがとうございました。

[2019年3月1日、VUILD川崎LABにて開催]

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